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10月 06 2015

勝川(徒歩川)

小牧長久手の戦いの続編。

小牧山城を出た家康は、如意、勝川を経て、

庄内川を渡り、小幡城に入りました。

勝川は古くは徒歩川と呼んで、歩いて渡れる場所で、

庄内川の別名にもなっていたとか。

家康が案内役に村の名前を問うたところ

「かち川でござりまする」

「それは縁起がよい」

ということから勝川と書くようになったそうな。

10月 06 2015

ルーティーン

朝出がけに携帯電話をよく忘れる。

ドアを閉めて、何か忘れたんではないかと考えると

携帯電話を持っていないことに気づく。

そして、取りに戻るのだが、

朝の忙しい時間になんとも無駄なことだ。

そこで、パフォーマンスではないので

ルーティーンではなのだろうが、

玄関に向かう前に

出掛けるまでにやるべきことを口に出し、

携帯電話を意識させている。

これで完璧だとも思えるのだが、

そのルーティーンを忘れて出掛けてしまうことがある。

五郎丸選手やイチロー選手は、

いつも完璧にルーティーンをこなすのだろうが、

私からすればそれだけですごいことだ。

 

10月 04 2015

名古屋市守山区のお城

名古屋市守山区には守山城、小幡城、龍泉寺城などが

庄内川河岸段丘上に天然要塞として築城されたそうである。

小幡城と龍泉寺城は小牧長久手の戦に登場し、

秀吉軍を白山林の戦(尾張旭)で破った家康軍が小幡城に入城。

かたや秀吉軍は家康軍と戦うため犬山城から龍泉寺城に移動し、

両雄は2キロくらいの距離に対峙したのだが、

夜陰にまぎれて家康軍は小牧城に撤退した。

その後、小幡城は秀吉によって焼かれ、廃城となったとのことである。

先日、訪れたスカイワードあさひの展望塔から白山林を望むことができた。

少しだけ小牧長久手の戦いを思い浮かべた。

 

10月 04 2015

豆苗

スプラウトの一種かなと思って、

スーパーでも豆苗を手にすることはなかった。

それが今では豆苗を買う機会が増えた。

理由は簡単だ。

豆苗の茎をカットしてから

根の部分を水に浸しておくと

一週間くらいで茎が伸びて収穫できることがわかったからだ。

試したら、ちゃんと伸びた。

調べたら栄養価が高いし、おまけに安い。

椎茸育成キットがほしいと思っている家族なので、

手を出さない訳にはいかない。

10月 03 2015

今できることを楽しむ

サッカーを楽しめるくらい走り回ることは、もうできない。

テニスやスキーもいつのころからかやっていない。

でもあれもできない、これもできなくなったじゃ

つまらなさすぎる。

幸いに健康体だ。歩くことはできる。

ウォーキングを楽しむこととしよう。

ホノルルマラソンにはウォーキングのコースがあるそうなので、

ホノルルマラソンをめざすぞ。

今できることを楽しもう。

9月 30 2015

朝食は和食党

妻は朝食にトーストとコーヒーを飲む。

私はというと朝食に洋食は苦手だ。

味噌汁にご飯といった和食でないと食べられない。

食欲がないときは、おにぎり一個を持って出勤する。

若い頃は全く朝食を食べなかったので、

そんなでも妻はよしとしている。

旅行先のホテルの朝食は、バイキングが多いが、

お互いが選んだものを比べてみると

妻は洋食、私は和食。見事に分かれている。

朝食はやっぱり和食党なのだ。

 

 

9月 28 2015

東区徳川町からスーパームーン

「尾張名古屋は城でもつ」

さすが名古屋はお城、金の鯱だとずっと信じていた。

確かにシロは城を指したのだろうが、江戸時代、

「尾張名古屋は士朗(シロ)でもつ」とされていたことを

つい最近、知った。

士朗とは井上士朗のことで

医者にして国学を学び、俳諧や絵画にも通じていたそうだ。

特に俳諧が有名で、士朗のいる名古屋に寄らないなんてもぐりだなんて扱いで

「尾張名古屋は士朗でもつ」といわれたとか。

万代や山の上よりけふの月   士朗

士朗宅は名古屋市東区鍋屋にあったらしいが、

東区徳川町辺りで江戸を感じながら月見をすることにする。

9月 27 2015

町歩き

ブラタモリの影響からか

名古屋の歴史、まずは事務所のある大曽根の歴史に興味が出てきた。

曽根は城下のはずれを意味するという説がある。

大曽根は名古屋城下の北東の外れに位置し、ここから街道は

恵那に向かう下街道と瀬戸街道に分かれたので、しっくりとくる。

下街道は名古屋城の南側から発し、東区内を国道19号線沿いに進み

大曽根に至るが、名古屋台地の端なので、この辺りは坂道となっている。

ブラタモリと同じように一度、歩いて散策してみたい。

歴史、地理、文化すべてが絡み合っているので、

町歩きも楽しそうだ。

9月 27 2015

背番号34

私は少年時代はサッカー少年で野球にはほとんど興味がなかった。

中日ドラゴンズが好きになったのは、社会人になってからで

星野仙一さんが監督に就任し、立浪さんが入団したころからだ。

1988年、中日がセリーグ優勝し、名古屋が沸き返って

初めて野球をよく観るようになった。

アメリカ留学から帰国した山本さんが活躍し始めたのもこのころだった。

それ以来、ずっと背番号34をつけた大男を観てきた。

球場で直接、観戦したこともある。

私の中では、5・6回まで投げ、3失点くらいするのだが、

試合は作ってくれる印象だった。

しかし、41歳でノーヒットノーランを達成し、

そして、レジェンドとまで呼ばれる投手になった。

その山本昌さんが現役引退を表明した。

現役最年長選手をデビューのころから見続けることができ

応援する側としても幸せだった。

9月 26 2015

嘉例吉(かりゆし)

今年の夏はよくかりゆしを着た。

とても着心地が楽で、暑苦しい名古屋にはぴったりだ。

アロハよりやさしい感じのデザインなので、私にも着やすい。

土曜日の勤務は、かりゆし。

来年は何着か買い足したい。

できるものなら沖縄旅行をしてまとめ買いをしたいものだ。

 

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